~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイとは

富士山世界遺産

富士山世界遺産

富士山は古くより神聖な山として人々崇められて参りました。
平安時代初期には山麓に富士山の噴火を鎮めるため「浅間神社」が建てられ、富士山を信仰する文化が始まりました。

室町時代には「富士講」と呼ばれる富士信仰が生まれ、江戸時代をピークとして多くの人々が参拝するために富士登山を行ったそうです。

紅葉

紅葉

秋になると木々が色づき、黄金色に輝く紅葉の中をロープウェイが進みます。眼下に見下ろす河口湖、湖畔を彩る紅葉をお楽しみいただけます。

カチカチ山にまつわるお話

昔話 カチカチ山

昔話 カチカチ山

みなさんは昔話「かちかち山」を覚えていますか?

昔々ある日のこと、おじいさんは畑でいたずら好きのタヌキを捕まえました。おじいさんは家に帰り、おばあさんはタヌキ汁を作ってくれるよう頼むと、再び畑に出かけました。
ところがそのすきにタヌキはおばあさんを騙して殺し、ばばあ汁をつくりました。おじいさんはタヌキに騙され、ばばあ汁を食べてしまいます。
そうと知ったおじいさんはおいおいと泣きました。それを見かねたウサギがやってきて、おばあさんの仇討ちを始めるのです。タヌキの背負った薪に火をつけて大火傷を負わせ、やけどの後に辛子を塗り、船遊びに誘ってすぐ沈む泥舟に乗せて(ウサギは木の船ですね)溺死させ、おばあさんの敵討ちを果たすというお話です。

昔話 カチカチ山

この昔話の舞台といわれているのがここ天上山です。
ウサギがタヌキの背負った薪に「カチカチ」と火をつける場面のやりとりは有名ですよね。
「どこかでカチカチと音がしないかい?」とはタヌキ。
「あれはカチカチ山のカチカチ鳥が鳴いているんだよ」とはウサギ。

昔話 カチカチ山

背中に火をつけられたタヌキが「あちち」と叫びながら駆け下りたのがロープウェイの眼下に見えた崖、泥舟に乗ったタヌキが沈んでいったのが河口湖といわれています。
それにしても昔話「かちかち山」…ちょっと残酷な話ですよね。

太宰治ゆかりの地を巡る

太宰治

太宰治は戸籍名を津島修治、明治42(1909)年青森県北津軽郡に生まれ、青森県北津軽郡に生まれ、青森中学校時代に芥川龍之介(1892-1927)に憧れ文学の道を志しました。
自虐的ですが絶妙な語り口で人間の偽善を告発する作品を数多く発表し、戦後は無頼派(ぶらいは)文学の騎手としての役割を担いました。
主著に「走れメロス」、「人間失格」、「斜陽」、「桜桃」などがあります。

太宰治は、昭和13(1938)年、29才の時に心身の疲れを癒す為、師と仰ぐ井伏鱒二(1898-1993)に誘われて富士河口湖町御坂峠の天下茶屋に滞留しました。
この時の体験を基に「富嶽百景」、小説「カチカチ山」(「御伽草子」収録)が書かれます。

文学碑「惚れたが 悪いか」(「カチカチ山」より)

富士河口湖町には太宰が滞留した天下茶屋2階の文学記念室(旧太宰治文学記念室)に太宰の関連資料が残されており、その近くには文学碑「富士には 月見草が よく似合ふ」(「富岳百景」より)があります。
またここ天上山中腹の央平(なかばだいら)には文学碑「惚れたが 悪いか」(「カチカチ山」より)があります。
御坂峠の天下茶屋までは車で30分ほど掛かりますが、央平までは遊歩道を下って20分ほどの距離です。

在りし日の氏を偲びつつ山を下りながら、ゆっくりと流れる時間と豊かな自然に身をゆだねてみてはいかがでしょうか。

ロープウェイの仕組み

ロープウェイは、「支索」と言う太いロープ(索条)を線路代わりに使って、2台のゴンドラを「曳索」(えいさく)と「平衡索」(へいこうさく)と言う細いロープで上下させる「交走式」のロープウェイです。
それに対して、スキー場で見られるリフトやゴンドラリフト等は「循環式」と呼ばれる方式を採用しています。

循環式ゴンドラリフト(あだたら山ロープウェイ)

循環式ゴンドラリフト(あだたら山ロープウェイ)

複線交走式ロープウェイ(~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイ)

複線交走式ロープウェイ(~河口湖~ 富士山パノラマロープウェイ)

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